髙願寺の歴史②~ 髙願寺の起源

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 髙願寺はいつからあるのですかという質問をよく受けます。少し答えるのが難しいところがあり、どのように答えたらよいのかいつも迷います。
 浄土真宗本願寺派の寺院として、本山・本願寺の台帳には1638(寛永15)年7月18日に登記されたことが記されています。よって、「高願寺は、西本願寺第十三代良如上人に随喜した順徹によって、浄土真宗本願寺派に属した寺院となった」という史実がはっきりしています。
 では、「本願寺派の寺院になる前は」というと伝承しか残っていないためはっきりとしていません。伝承では、「新田義貞の子、新田義興、その弟義宗らが上野で兵を挙げ鎌倉へのと進み後、足利尊氏との鎌倉争奪戦の戦乱の影響を市内でも被り、その家臣の霊を弔うための草庵として始まる」と伝えられています。
東急多摩川線の武蔵新田駅に新田大明神を祭った新田神社があります。新田義興を祭った神社ですが、新田神社のホームページには、「『観応の擾乱』が起こると、鎌倉の奪還を
目指して上野国で北条時行らとともに再び挙兵する。この後、1352 年に宗良親王を奉じて弟義宗、従兄弟脇屋義治と挙兵し鎌倉を一時占拠する。足利尊氏の反撃にあって鎌倉を追われる。
 足利尊氏が没した半年後の1358 年に義興は 鎌倉奪還のため挙兵、鎌倉をめざした。」と記述されています。このとき、義興は、髙願寺にほど近い「矢口の渡し」で家臣共々謀殺されています。
 髙願寺に伝わる寺伝と新田神社のこの記述が符合することから、髙願寺の起源もこの頃と推測できます。室町時代初頭(およそ660年前)ということになります。


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このページは、住職が2019年9月 1日 12:11に書いたブログ記事です。

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