お釈迦さまのご生涯〜髙願寺本堂の欄間から辿る

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はじめに

今日与えられましたテーマはお釈迦さまのご生涯についてお話させていただきます、と、このようでございます。

お釈迦様は仏教を始められた方だということは皆様ご存知のことだと思います。皆様がお参りになる本堂の欄間にある彫刻は、お釈迦さまのご生涯の場面場面を彫刻にしたものなのです。これを元にお話させて頂こうと思っています。

われわれはお釈迦さまとお呼びしているわけですが、前置きとして「お釈迦さま」という名前について少しお話させてもらいます。お釈迦様というのは人の名前だと思ってらっしゃる方が多いと思うのですが、実は人の名前ではなくてですね。お釈迦様が所属していた部族の名前が釈迦族と申しまして、釈迦族から出た尊い方、ということでお釈迦様とお呼びしているのです。

では本人のお名前は何と言ったかといえば、ゴータマ・シッダッタということになっています。ゴータマというのは大体、日本でいう苗字にあたりまして、ゴというのは牛という意味なんですね。英語の最上級にあたるのがタマ。ですから、牛の最も優れたもの、という意味になるかと思います。インドでは牛は神聖な動物です。インドでマクドナルドができたとき牛肉を使うから暴動が起こったという有名な話もあるくらいですからね。

シッダッタというのは、ある目的を成就した、成し遂げたという意味でありまして、お釈迦様がお悟りを開いて多くの人々を救うという目的を成し遂げたということでしょう。

また、お釈迦様のことをよくブッダとお呼びする場合もありますね。ブッダというのは固有名詞ではないのですが、この名前の意味については後でお話したいと思います。

釈尊という呼び方もありますね。釈迦族の尊い方、ということでよばれているのではないかと思います。異なる説もあるわけですが。

過去世

さて、お釈迦様の生涯というと、おぎゃあと生まれる、あるいはお母様のおなかの中に宿ったところから始めるというのが普通でございますね。ただですね、インドの場合はですね、そこからスタートでは無いんですね。

インドではご存知のように、輪廻転生という考えがありまして、人間というのは次々に生まれ変わるという考え方だったのです。こういう考えからすれば、生涯というのは、お母様のお腹に宿る前の過去世に何かであった、というところから始まるのです。

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こちらのご本堂の彫刻では、寝ているお母様のお腹に入ってくる前、お釈迦様の過去世にこういうことがあった、というところから始まっています。これはおそらく、これからインドで生まれて悟りを開いた人間になるよ、ということを過去の仏様から予言されている状況だと思います。

白象の夢

横になっているのがお母様のマーヤーさんです。漢字で書くと摩耶。よくお寺の方で摩耶さんという方がいらっしゃいますが、たいていこれに由来しているわけです。

お父さんはどういう名前かといいますと、スッドーダナといいまして、どういう意味かといいますと、清らかなご飯、という意味になります。このお父さんの兄弟はみんなご飯という名前が入っていて、どうやらお米を作っている民族だったのではないかともいわれています。お父さんは現在でいえばネパールにいた釈迦族の王様だったのです。

ですからお釈迦様は王子さまということになります。

横になっているのがお母様で、上に象がいますね。これがポイントであります。白い象が天から下ってきて胎内に入るのを夢に見ました摩耶夫人を絵にしてあるんですね。これはあくまでも夢の話でありまして、お釈迦さまが生まれる前は象であったということではありません。

降誕

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妊娠されたお母様がご実家に帰る途中、ルンビニーというところで産気づいて、そこで産まれたということですね。現在、インドの北のネパールになります。お釈迦さまはインドで生まれたとよく言われますが、正確にはネパールで生まれたわけです。

裸で立っている赤ん坊が、生まれたばかりのお釈迦さまですね。お釈迦さまは産道を伝っておぎゃあと生まれてきたんじゃない、アトーカの木にお母様が右手を添えて、右のわき腹から生まれてきたと言われています。お釈迦さまは生まれてすぐに7歩歩いて「天上天下唯我独尊」と仰ったと。

こういう話は、偉大な優れた人物については、たいてい後から作られるわけです。キリストさんの方でもお母様のマリア様は処女だったとか。

四門出遊

お釈迦さまは、王子として物質的には何不自由ない生活をされていたのですが、幼いころから心が満たされないということを常に感じ続けていたんじゃないかと思われます。その一つの理由は、お母様の摩耶さんが産後のひだちが悪くてすぐに亡くなられて、その妹に育てられたということもあったかもしれません。

そういうときに、4つの門から出て遊ぶ、と書く「四門出遊」という出来事が起こりました。

お釈迦さまは過保護に育てられているわけですね。嫌なものは見ないように、というように。だけど、お城の外はどうなってるんだろう、という関心を持ってらっしゃったんですね。それで、ちょっと外に出てみたいと。そういうことで外に出てみたのですが、ある門から出てみた。すると、老人に会いました。今の日本だとお年寄りはたくさんいらっしゃいますが、お釈迦さまはお年寄りに会ったことがなかったのですね。老いという否定的な存在には、あまり会わないようにさせられていたのです。

それで、お年寄りを見てとてもびっくりした。「あれはどういうものか」とお供のものに聞きました。「歳を取るとああなるのです」と応えられて、「自分もああなるのか」とたずねたら、「はいそうです」と言われてそのことで深く考えられたのです。

また今度は別の門から出たら、病人がいた。お釈迦さまは、病人にも会ったことがなかった。で、やはりショックを受けたのですね。

また別の門を出たところでは、お葬式があった。こういう風にですね、老・病・死という問題にぶつかって、非常に深く心を動かされ、悩まれたのです。

そして4つめの門を出たとき、出家の修行者に会った。当時のインドでは、家を出て出家の修行をしている、という人たちがかなりいたのですね。

いまで言えば世俗の生活を捨てて心の問題を追及していこうと、そういう風な形で生活している人に会ったわけです。それを見て、すがすがしい気持ちで心打たれたお釈迦さまは、「ああいう生活をしてみたいなあ」という思いを抱かれた。これが遠い原因になりまして、王子の身分を捨てて城を後にする、ということにつながってまいります。

出家

お釈迦さまはこのときすでに奥さん、それから一人のお子さん、つまり家庭を持っていて恵まれた生活であったわけですけれど、老・病・死という避けられない、誰もが心を悩ませている、人生の根本的な問題をなんとか自分なりに解決しなければ、という思いが高じて、それまでの生活を捨てて修行の生活に入ったということになります。

お釈迦さまが出家しようとしているのは、なんとなく皆が分かっているので、ばれないように夜、密かにただ一人、カンタカという馬とチャンナというお供だけを連れて城を出られたのです。

出家ということに関して少しお話しておきます。家庭や、ゆくゆくは王様になる人ですからある意味では、国民を捨てたということにもなりますから、それは芳しいことでは無いのではないか、という考え方もあります。

それに対してお釈迦さまがどう言っておられるかというと、「自分の家族や国民のことを考えなければならないというのは当然大切なことではあるけれども、自分は家族や国民だけではなくもっと、全ての人々が老・病・死という根本的な苦しみから解放される道を求めたい、それによって家族や国民も含めた全ての人々が幸せになることを願いたい」というようなことがお経本に書かれています。大きなことを達成するにはある部分を犠牲にしなければならないということかと、考えられます。

スジャータの供養

城を出たとき29歳だったので、悟りを開かれたのが35歳のときなので、都合6年もしくは7年間、厳しい修行・苦行をされたと伝えられています。

苦行というと苦しい行と書きますが、体を痛めつけることですね。どういう苦行をされたかといいますと、一番極端なのは食事を制限する。いきなり断食すると死んでしまうので少しずつ減らしていって、最後に一日に米一粒にするんですね。

他には夜も昼も立っていて寝ない修行とか、ずっと水に潜っている修行とか、手をずっと前にならえし続ける苦行とか、太陽を見続ける苦行とか、わけがわからないものですが、それをやることによって超能力を得ようという、そういうのが当時は流行っていたのです。

断食をされて、がりがりの骨と皮だけになってあばら骨が出ている状態のお釈迦さまに、村の娘さんが乳粥を差し上げる。いままで苦行をしていたのに乳粥をもらう、ということはそれまで一緒に苦行をしてきた仲間からするとドロップアウトすると見なされてしまうわけですが、お釈迦さまは単に肉体を痛めつけるのだけでは老・病・死の解決にはならない、ということに気づかれるわけです。

悟り

苦行をやめられたお釈迦さまは菩提樹の根元に座られました。菩提というのは悟りという意味で、お釈迦さまがその下で悟りを開いたので菩提樹と呼ばれるようになったのです。座ってお釈迦さまがすぐに悟りを開かれたわけではありません。

座るお釈迦様の心の中にさまざまな雑念が浮かんでまいります。一言でいえばわれわれの心の中にある煩悩。悟りを開こうとしているお釈迦さまを邪魔し惑わす煩悩です。

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このことを分かりやすく絵にしたのがこちらになりますね。綺麗な女の人たちがお釈迦さまを誘惑するわけです。「そんなことしてないで私たちと遊びましょ」と。正しい見方をさせないような誘惑が悪魔の姿を取ってかかれてもいて、これは比喩的な表現で、外部からの邪魔というよりもお釈迦さまの心の中での葛藤として捉えたほうが分かりよいかと思います。

邪魔という言葉ですが、魔(マーラ)というのは悪魔ですから、よこしまな悪魔、お釈迦さまが悟るのを妨げるよこしまな悪魔ということで、邪魔、と言うようになったのです。お釈迦さまが悟りを開いたのを成道とも降魔ともいいますが、降魔というのは心の中の煩悩である魔を鎮めて克服した、ということです。

悟りを開いてブッダになったお釈迦さまですが、ブッダとは何かと申しますと、目覚めた人という意味です。目覚めたといっても寝ていたのが眼を覚ましたというわけではありません。目覚めるには、ふたつの意味があります。ひとつは「~から目覚める」。もうひとつは例えばカラオケに目覚めるというように「~に目覚める」という言い方があります。お釈迦さまは目は覚めていたけれども迷いの中にいた。そういう意味では迷い「から」覚めた。それでは、何に目覚めたか。仏教の立場から言ったところの真理、インドの言葉ではダルマ、法に目覚めたと。迷いから覚めて真理に目覚めた。

では、その真理とは何なんだということですが、それを一言で言うのは非常に難しいわけです。たとえば「縁起」などと言ってもよいかと思いますが、私は簡単には言ってしまわないようにしたいと思います。

自分で一生懸命、論理を組み立てていって考え出した真理ではなくて、ハッと気づかれたもので、お釈迦さまの以前からずっと存在していたものですから、どなたでも気づくことのできるものなのです。

お釈迦さまのご生涯のメインイベントは何かといえば、本堂でも真ん中にありますように、悟りを開かれたということです。

初転法輪

さてお釈迦さまは悟りを開かれたわけですが、気づかれた真理を誰にも伝えずに自分の胸の中にしまっていたなら、仏教は始まらなかったわけです。大乗仏教では仏の慈悲ということを強調します。それから、利他ということも申します。自分だけがよければ良いのではなく、他の人が幸せになってもらいたい、という。

この原点はどこにあるかといえば、お釈迦様のお説法にあるのです。お釈迦さまが真理に気づかれて苦悩から解放された。自分の悟った内容は奥深くて、言葉にするのはとても難しいものですが、なんとかして他の方々にもお話したい、と。それによって少しでも他の人たちの苦悩を減らしてあげたい、という願いを持ってお説法を始めたわけです。

自分だけ分かってればいいんだ、というのであれば仏教は半分だけになってしまいます。自分が分かった内容を他の人にも伝えたい、という慈悲が原点だと、このように思います。

最初の説法は、一緒に苦しい修行をしていた5人の修行仲間に、鹿野宛という鹿がいる公園のようなところで行われました。ですからこちらの本堂のように、この場面はたいてい5人のお坊さんと一緒に鹿が描かれています。

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涅槃

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そして最後は横になって亡くなる場面ですね。頭北面西と申しますね。頭を北にして顔を西にしています。北枕、などということもありますが。

この様子は昔から日本でもたくさん描かれてきましたが涅槃図ともいいます。横になっておられるお釈迦さまの周りを、お弟子さんとか鹿などが取り囲んで嘆き悲しんでいる、という場面ですね。沙羅双樹、2本の沙羅の木の下でなくなられたんですね。平家物語でも、「祇園精舎の鐘の音諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」と書かれてますね。このようにしてお釈迦さまは80歳の生涯を閉じられたわけです。

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このページは、住職が2009年11月22日 21:23に書いたブログ記事です。

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